4ページで分かる!漫画偉人伝!!「渋沢栄一」 pic.twitter.com/uPE1euLAiu
— あなたを漫画にしますマン (@anamanneda) 2019年4月23日
渋沢栄一の経歴
~幼少期~
1840年 武蔵国(いまの埼玉県深谷市)で豪農の長男として生まれる
1859年 19歳で結婚して栄一郎と改名
米麦の他に価格変動の激しい養蚕、藍玉(固形かされた染料)も扱っていて、小さなころから父の仕入れにもついていっていた
~成人~
1864年 25歳 一橋慶喜(後の徳川最後の将軍)に使える
1867年 28歳 パリ万博使節団としてフランスに渡る
1869年 30歳 静岡に商法会所を設立、明治新政府に仕える
成人するころ、アヘン戦争でアジアが欧米に蹂躙されていることに危機感を覚え、尊王攘夷活動(徳川幕府を倒して天皇に権力を戻したい活動)に傾倒する。長州藩と一緒にクーデーターを起こす寸前まで行くのだがギリギリのところで討幕活動は実行に移さず
攘夷活動で父から勘当を受け、同時に活動自体も行き詰まり江戸で今後の道を模索する
活動の中で幕府側の人とも接触があった渋沢。一橋家に仕える平岡円四郎との交流をキッカケに、のちに将軍となる一橋慶喜と接触し討幕から一点、慶喜に仕えることになる。そして一橋慶喜が将軍になった後は幕府の人となったのである
フランスへ
28歳の時に使節団としてフランスに渡欧したのをキッカケに欧米の近代産業、社会システムを学ぶ
滞在中、本人は外国での学びに熱をいれていたのだが、1868年大政奉還(徳川家が権力を行使するのをやめて天皇家にすべてをお返しする)をキッカケに日本にもどってくる。そして大蔵省に入り明治政府の人として活躍することになる
~そして起業家へ~
1873年 34歳 大蔵省をやめて第一国立銀行を設立
1875年 36歳 第一国立銀行の頭取になる
大蔵省に入省した渋沢栄一は国立銀行法など銀行にまつわる法律の設立にかかわるが、大隈重信と対立して退官する
そして日本最初の銀行第一国立銀行を設立する。当初は当取ではなく主要設立メンバー3人のうちの一人であったのだがそのうちの一人の事業が破綻の危機になり渋沢栄一が頭取になる
民間資本で作られた銀行だけども当時は紙幣を発行する権利もあって、経済への影響が極めて強かった。そんな中で日本初の株式取引所、東京株式取引所の設立や王子製紙等多くの企業の設立にかかわる
渋沢栄一が立ち上げに関わった会社
王子製紙
東洋紡績
東京ガス
東京海洋日動
日本郵船
東京電力
キリンビール
などなど現在の日本の生活基盤、経済基盤にかかわる会社の多くの設立に関わっている
渋沢栄一の近代的なスタイル
当時大企業は財閥や一族経営が多かった中、渋沢栄一は株式公開、民間からの出資を募るという今に近いスタイルをとった
会社設立の資金に関しても成長した会社を株式上場させ、保有していた株式を売却して次の事業立ち上げ資金にあてる、というような株式を活用した実業家であった
民間企業だけでなく教育団体、慈善団体の設立も携わっていて約600もの団体を設立している
渋沢栄一が立ち上げた団体例
日本慈恵会
日本赤十字社
日本女子大学
日本放送協会
多方面での活躍を続ける
その後も実業家、教育家、時には深川区の政治家として活躍
関東大震災の時には復興のための組織つくりをして寄付金を集め、女子教育の必要性を訴え伊藤博文らと女子教育奨励会を設立し日本女子大学を設立したりと経済活動以外の社会貢献も大きかった
ノーベル平和賞候補として二回推薦されたり、井上馨内閣に大蔵大臣として入閣を要請されたりと77歳で引退するまで多方面での活躍をつづけた
そして1931年 92歳で亡くなる
渋沢栄一のビジネス論 論語と算盤
渋沢栄一はビジネスや論理に関するいくつかの本を残した
その中で有名なのは「論語と算盤」
論語とは道徳、算盤(そろばん)とは経済の意味で”道徳と経済そのどちらも大切だ”と主張している
たくさんの企業を成功させた渋沢栄一だが経済の基本は社会の役に立つこと、人の役に立つことである、としている
有名な言葉
・自分の利益を第一に図るべからず
・商人は信用こそ第一だ
・不誠実にふるまうべからず
・経済なくして道徳無し
この「自分の利益を第一に図るべからず」が特にいま注目されている
一時的、短期的な利益のために不正を行い、信頼をなくして企業の破綻をまねく。そういった企業を多く目にしている
最近ではセブンイレブンのフランチャイズオーナーとの24時間営業強要問題も、セブンホールディングとしてはフランチャイズ店舗の営業時間が多ければ多いほどロイヤリティは多くなるというまさに他者に苦労を押し付けて自分の利益を優先している例だ。そしてオーナーとの対立を深めている
渋沢栄一は経済は道徳と話せるものではない、どちらが先ということもなく両方が同時に大切なのだと主張している
「経済なくして道徳なし」という言葉にあるように利益があってこそはじめて公益を考えられるようになる、とも説いている
他者に利益があってこそ経済は循環し、最終的に自分の利益も最も大きくなるという渋沢栄一の言葉をいま改めて教訓としたい
まとめ
明治の”日本がこれからどうなるか?”という中で”幕府を倒そう”、”いややはり幕府の力になろう”と自ら考え動く移す行動力、幼少期から親の仕事に関わったり外国への派遣で株学びの力、実業家として多くの会社を立ち上げる中で人の役に立つことも必要だと考える道徳心、渋沢栄一の生き方や残してくれた言葉から学ぶことはたくさんあるのではないだろうか